愛しかなくてやばい

競馬のことを書きます

いいわけ

好きこそものの上手なれ。

私はそれを何度も実感してきた。タトゥーにしたいくらい信じている言葉。好きだから知りたい、好きだから頑張れる、好きだから挑戦する、好きだから耐えられる、でも全て苦しくはない。好きだからとても楽しいのだ。とてもいい言葉だなぁと思う。カメラや競馬の血統を勉強することカラオケは特にこの気持ちで楽しんできた。

 

でも、好きなことなのに、非常にストレスが貯まることがある。それも一瞬や1日とかではなく、全てが嫌になるほど。好きになのにうまく付き合えなくなる時期がある。ほどほどとか、力を抜いてとか、そんなことができない。それが今。

 

この前Twitterを辞める宣言をして気づいた。ああ、人なのかと思った。人と関わることで好きだったことが、思うような好きでいられなくなる。

 

と、書くとなんだか他人のせいみたいになってしまうので補足を。特定の人が嫌いなのではなく、他人の目が私の自由(と私が認識しているもの)を邪魔してくるような気がしてしまう。過干渉な親を持ったせいか、全ての人の関心が自分に向いているような気がする。何の意見も自分への批判や注意に感じてしまう。みんなが私を見ているはずなのに無視されている、私には反応してくれない、と思ってしまう。手っ取り早く言うと自己承認欲求のかたまりなのだ。Twitter辞めますとか言っといてこんな投稿を上げてる時点でお察しかとは思うんだけどね。

 

元々、のんびり写真が見たくて、血統の勉強がしたくて、騎手の話で盛り上がりたくて始めたアカウントだった。でも「的中しました」と言っても、「あ、私のは無視するんだ。こっちの人にはリプライしてるのにな」とか「いいねも付かないんだ、こんなオッズの当てたのにな」なんて馬鹿馬鹿しいことばかり気にしてしまう自分に疲れた。フォロワーが多いとか仲がいいとかそういう問題ではないのかなと思うから、Twitterを離れることにした。

 

けしてあなたたちのことを嫌いになったわけでもない。写真が素敵、その画像なんなの、めっちゃかっこいい馬だね、エロすぎワロタ、話しかけたいことはきっとこの先もたくさんある。

 

でも私にはそんな元気は今はないのだ。

 

好きだから離れる。それも選択のうちなんだなと気づいた。好きだから頑張らなきゃというのは今は違うらしい。

 

私は今やりたいことが本当にない(笑)歌を歌ってるときは楽しいけど、本当になんとない(笑)だからぼーっとして仕事いやだなぁとか、お腹空いたけど食べたら太るなとか考えてる。Twitterでつぶやいてたことを心の中でつぶやいている。

 

Twitterは好きなのだ。私の生活だったのだ。好きだから分かち合いたかったのに自分が壊れてしまった。SNSに向かないなと何度も思った。子供がいるから、仕事しているから、だからTwitterをしない、できないというのは絶対に違うと思う。少なくとも私はTwitterに助けられてきた。くだらないこと、下品なこと、いっぱい話していっぱい笑った。またTwitterのことを好きだなと思える日がきたらいいなと思う。

 

その日までは無言でシャッターを押し続ける。きっと誰かに届けたい、届いてほしい写真と出会えるはずだと、そう思う。たいした腕ではないけど、大好きな人たちに写真が届けばいいなと思っている。

 

なにを言いたいか分からなくなったけど、誰のことも責めたくない、自分のことも嫌いになりたくないだけで、こんな長文をだらだら書いてしまってごめんなさい。

週末の競馬もみんなにとって良い競馬になりますように。